大判例

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最高裁判所大法廷 昭和24年(ク)52号 決定 1956年10月31日

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

本件抗告の理由は別紙記載のとおりであり、これに対して当裁判所は次のように判断する。

(一)  原決定は憲法三二条、八二条に違反するという主張について。

原決定は、本件調停に代る中川簡易裁判所の裁判は裁判所でない他の機関によつてなされたものではなく、同裁判所が戦時民事特別法一九条二項、金銭債務臨時調停法七条一項によつてなしたものであること記録上明らかであつて、これも一の裁判たるを失わないばかりでなく、この裁判には抗告、再抗告、特別抗告の途も開かれており抗告人の裁判を受ける権利の行使を妨げたことにならないから、憲法に違反するものでない旨判断している。そして、原決定の右判断は正当であると認められるから、憲法三二条違反の主張はその理由がない。

なお、抗告人は、本件調停に代る裁判並に原裁判が非公開の中に決定された違憲ありというが、右各裁判は対審乃至判決の手続によるものではないから、違憲の主張はその前提を欠くものといわなければならない。

(二)  原決定は憲法三一条に違反するという主張について。

本件調停に代る裁判は、戦時民事特別法一九条二項により借地借家調停法に依る調停に準用せられる金銭債務臨時調停法七条、八条に則つてなされたものであることが明らかである。戦時民事特別法及び金銭債務臨時調停法はいずれも所論のように日本国憲法公布以前に制定せられたものであるが、しかしそのことはこの両法律を当然無効とする理由とはならない。次に戦時民事特別法は昭和二〇年法律四六号によつて廃止されたけれども、前者の一九条二項は後者の附則によりその後も当分の内なおその効力を有する旨定められ、本件調停に代る裁判がなされた当時には有効に存続していたのであるから、同条項の規定に従つて金銭債務臨時調停法七条、八条を本件に準用したことを違法とする理由はない。所論違憲の主張はその前提を欠き採用することができない。

(三)  原決定は憲法一二条に違反するという主張について。

論旨は、原決定は被抗告人の権利の濫用を容認したものであつて憲法一二条に違反する旨主張するのであるが、本件調停に代る裁判の内容は、相手方がその所有権に基いてした請求につき権利の濫用を容認したものとは認められない。従つてこれを維持した原決定に憲法一二条の違反があると主張する論旨は理由がない。

(四)  原決定は憲法一一条、一三条、二二条に違反するという主張について。

論旨は、本件調停に代る裁判の結果抗告人の居住移転の自由が奪われ、営業権が打撃を受け、生存権がおびやかされ、また自由及び幸福追及の権利を尊重されないこととなるから、これを容認した原決定は憲法一一条、一三条、二二条に違反すると主張する。しかし憲法のこれ等の法条は、個人の自由や権利が他人の正当な権利のために制限を受けることを排除する趣旨を含むものではないから、本件調停に代る裁判が相手方の所有権に基く請求を正当なりとした結果、抗告人の自由や権利が制限を受けることとなるにしても、これを以て憲法の前記法条に違反するものということはできない。従つて本件調停に代る裁判を容認した原判決には所論のような憲法違反はなく、論旨は理由がない。

(五)  原決定は憲法二五条に違反するという主張について。

論旨は、原判決が憲法二五条の保障する権利を侵害するものであると主張するけれども、この法条が直接に個々の国民に、国家に対する具体的現実的な権利を認めたものでないことは、当裁判所がしばしば判例(昭和二三年(れ)第二〇五号同年九月二九日大法廷判決等)として示したとおりであるから論旨は採用できない。

(六)  その他の主張について。

その他の論旨は、いずれも、原決定において法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかについてした判断を不当とするものではない。従つて民訴四一九条ノ二に定められている適法な抗告理由にあたらない。

よつて本件抗告は理由ないものとしてこれを棄却し、抗告費用については民訴八九条を適用し主文のとおり決定する。

この裁判は、前記(一)の点につき裁判官真野毅、同小谷勝重、同島保、同藤田八郎、同岩松三郎、同入江俊郎、同池田克の反対意見がある外裁判官の一致した意見によるものである。

裁判官真野毅の反対意見は左のとおりである。

本件は、当初家屋明渡の訴が提起され、その係属中に借家調停に回わされたが、調停は不調となり、いわゆる「調停に代わる裁判」が決定をもつてなされ(戦時民事特別法一九条二項、金銭債務臨時調停法七条)、これに対し抗告、再抗告がなされ、その何れも棄却となつたので、本件の特別抗告となつたのである。

元来、この「調停に代わる裁判」という制度は、明治憲法時代におけるその制定当時においてすら、違憲の論議がやかましく、法律の名称も特に金銭債務臨時調停法と名づけられ、他の多くの調停法(借地借家調停法、小作調停法、人事調停法、商事調停法)と異り、臨時的な立法としてようやく議会を通過したのである。そして、法律制定以来裁判所の実務において、この「調停に代わる裁判」が行われた実例は、全国を通じてはなはだ稀有のものであつたといわれている。その主な原因は、法を適用し法治を主眼とする裁判官には、かかる現存の法律関係によらない便宜主義的・行政的な措置をとることに、良心の満足を得がたいものがあつたためである、とわたくしは思う。ところが、戦時には訴訟を一種の罪悪のように見る傾向を生じ、戦時民事特別法は、この「調停に代わる裁判」の規定を借地借家調停法等による調停にも準用するに至つた。しかし、新憲法下においては各種調停法を統合して民事調停法が制定されたが、その際の法制審議会調停法改正委員会にはわたくしは委員長として終始つぶさに審議に関与したが、当事者の同意なきにかかわらず調停に代わる裁判に強力な効力を認める規定のごときは、違憲性を有するものとして全委員一致で新法の中におかないことに決し、現に民事調停法にはこれに関する規定が設けられていないのである。

さてわたくしは、この金銭債務臨時調停法における「調停に代わる裁判」の規定(七条、八条)は、違憲であると考える。従つて、これを準用してなされた本件第一審の決定は、違憲であるから、これを適憲であると判示した原決定には、憲法の解釈を誤つた違法があるものと言わねばならぬ。左にその理由の要旨を述べる。

わが憲法が立憲主義に立つていることは、多言を要しない。国民生活は、すべて法律によつて規制せられた法秩序を基本とし、これを社会的に信頼することによつて平和な日常生活が営まれる仕組になつている。しかし、各個人は理性・感情・意思・欲望等において常に多少の相違を免れない人間社会の現実においては、各種の複雑な事情から、法律上の訴訟が生ずることは避けがたいのである。かかる法律上の争訟の一切を裁判することが、憲法上司法権として裁判所の権限に属せしめられている。すなわち、裁判所は個々の法律上の争訟について、具体的な一定の事実を確定し、この事実に法律を厳正に適用して裁判をすることを憲法上の任務とする。行政官は法律を実施するに当つても、便宜主義によつて広範な裁量権を有するのであるが、裁判官はこれと異なり厳正な法律適用をすることが要請されている。裁判所によりかかる要請が厳守されることによつて、一国の法治主義はその目的を達成し、法律秩序・社会秩序は平安に維持されることをうる。刑事事件においては、この故に罪刑法定主義ということが常に強調されるわけである。もし、これがなければ、根底において法治主義は崩れ去つて、世は独裁・専制に陥らざるをえないのである。

憲法三二条において、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」といつているのは、前述の趣旨、すなわち、法律上の訴訟に当り、何人も法治国民として、裁判所において厳正な実体法の適用による裁判を受ける基本的な権利を有し、この権利は法律をもつてしても奪うことができないことを憲法が保障した重要な意義を有するものである。そして、法律上の争訟に関する訴訟手続においては、数世紀に亘る長い年月の経験をとおして人類の英知が獲得した公開主義、口頭主義、直接主義、証拠主義の大原則は、裁判所が裁判をする場合に、憲法上保障されているものと言わなければならない。けだし、これら訴訟の大原則を無視しては、裁判を受ける権利は、実質的に生命を失つて形骸と化するおそれがあるからである。

また多数意見のように、本件決定は裁判所という機関でなされた一種の裁判であるから、憲法三二条に違反しないというならば、同条の保障は単に裁判所(最高裁判所のほかは立法で自由に定められる)でなされればよいという全く形式的なものになり、単にこれだけの保障なら、すべて司法権は裁判所に属するという憲法七六条だけで十分なはずである。また実体法的に厳正に法律を適用しなくともよい、訴訟手続において前記諸原則に従わなくともよいというのでは、法律をもつてしても裁判所の裁判を受ける権利を奪うことはできないとしている折角の憲法の保障は、実質的に内容がほとんど空疎なものになつてしまう。要するに、三権分立、司法権、法律上の争訟、法治国というふうに考えをめぐらしただけでも、憲法三二条の裁判を受ける権利の保障は、実質的な内容をもつべきものであることを理解するに足ると思う。

しかるに、前記「調停に代わる裁判」は、実体法の面からいつても、訴訟手続の面からいつても、法律の厳正な適用による裁判ではなく、裁判所が職権により多分に主観的・便宜主義的・行政的に独裁するものたるに過ぎない。これは本質において憲法三二条にいわゆる裁判すなわち真の裁判ではなく、裁判という名を冒称する擬装の裁判であると言わなければならぬ。しかもかかる擬装の裁判の確定したときに、裁判上の和解と同一の効力、したがつて確定判決と同一の効力(金銭債務臨時調停法一〇条、民訴二〇三条)を認めるこの制度は、憲法三二条にいわゆる裁判所の裁判を受ける権利を奪うことになるものであつて、違憲な立法であると断ぜざるをえない。したがつてこれを適用しまたは、その適用を是認した原決定等は違憲である。それ故論旨は理由があり、本件名古屋高等裁判所の原決定、名古屋地方裁判所の抗告決定、中川簡易裁判所の調停に代わる決定は、何れも破棄するを相当とする。(その余の論旨については判断を略する)

裁判官小谷勝重の反対意見は、次のとおりである。

いわゆる「調停に代る裁判」に関する、金銭債務臨時調停法七条乃至一〇条の規定を、借地借家調停法及び商事調停法による調停にも準用した戦時民事特別法一九条二項の規定は、昭和二六年九月三〇日まで存続した(民事調停法附則四条、一条)。しかし、右以前までに裁判所に受理された調停事件については、なお従前の例によるものと定められておる。(民事調停法附則一三条)。

本件は、原告石垣仙太郎被告鈴木元良間、家屋明渡請求訴訟事件として、昭和二二年一二月三日中川簡易裁判所に提起され、訴訟係属中、職権により借地借家の調停に附せられ、昭和二三年七月三〇日同裁判所においていわゆる「調停に代る裁判」がなされ、これに対し鈴木元良より、抗告及び再抗告を申立て更に当裁判所に特別抗告を申立てた事件である。

論旨は、「調停に代る裁判」の規定は憲法三二条、八二条に違反の規定であつて、その裁判は無効であると主張するのである。

本件はもと一般の民事訴訟事件として提起されたものであるから、その権利の存否を確定する裁判手続は民事訴訟法により判決手続、すなわち同法の定める証拠法則、当事者主義並びに口頭弁論主義に基き且つ公開された法廷で行われなければならないことはいうまでもない。しかるに「調停に代る裁判」は、その証拠方法は疎明の方法により、また職権並びに審問の手続により且つ公開法廷によらざる非訟事件手続法によつてなされるものであり、その不服申立の方法も抗告手続によるものであるにかかわらず、その裁判は「裁判上の和解」と同一の効力を有するものであるから、民訴二〇三条により確定判決と同一の効力を有するに至るものである。(裁判上の和解は既判効を有しないとの説があるが、それは裁判上の和解もその本質は実体法上の和解であるから、民法九五条、九六条等の適用がある結果、それらの事由による訴ができるだけであつて、他の事由によつては一旦裁判上の和解で定まつた権利関係の変更を訴求することは認容されないものと解する)。

以上の如き手続により確定判決と同一の効力を付された裁判は、本来の民事訴訟法による裁判を受ける権利を奪うものであり、その規定は憲法三二条、八二条の各保障に反する違憲の規定であつて、その裁判は無効であると断ぜざるを得ない。論旨は理由があると信ずる。

多数意見は、調停に代る裁判も「裁判」であり、且つ抗告再抗告特別抗告の道が開かれておるから憲法三二条に違反しない、またこの裁判は「対審乃至判決」の手続によるものでないから、憲法八二条にも違反しないと判示する。しからば、民訴刑訴を廃止し、すべての裁判を書面審理による「決定」手続によるものとし、不服申立の方法を抗告手続とし、法廷を非公開とする法律を定めても、憲法三二条、八二条に違反しないとの結論に到達せざるを得ないように思われるが、果してそうであろうか。

裁判官島保、同岩松三郎の反対意見は次のとおりである。

論旨は、本件調停に代る裁判は、公開の法廷で裁判所の裁判を受ける権利を奪うものであるから、これを容認した原決定は憲法三二条、八二条に違反すると主張する。なるほど憲法は法律上の争訟につき何人も司法裁判所の裁判によりその解決を受け得べき権利を有し、しかもその裁判の対審及び判決が公開の法廷で行わるべきことを保障しており、また、借地借家の調停に準用せられる金銭債務臨時調停法一〇条は、同七条の調停に代る「裁判確定シタルトキハ其ノ裁判ハ裁判上ノ和解ト同一ノ効力ヲ有ス」と規定し、民訴二〇三条は「和解……ヲ調書ニ記載シタルトキハ其ノ記載ハ確定判決ト同一ノ効力ヲ有ス」る旨定めている。しかしここに、「確定判決ト同一ノ効力ヲ有ス」というのは、単に訴訟終了の効果と執行力あることを認めたに止まり必ずしも既判力を認めたものではないと解するを相当とする。それは訴訟上の和解も当事者の行為としてその効力等の点に関しては実体私法の適用を受けるのであり、それ自体無効なりや否やの争を生ずる余地があるのであるから、これを当事者間の紛争を終局的に解決する目的でなされる司法裁判所の判決と同視して既判力を認めることは、その性質に副わないものである一面、既に当事者間に訴訟物たる権利関係について和解が締結され、その争も止められ民法六九六条所定のいわゆる形成力も生ずべき事態に立ち至つた以上その限度においてはもはや法律上の争訟は存在せず、従つて裁判による争訟解決の必要はなくむしろ訴訟は終了したものとするのが相当であり、そして爾後当事者は自ら定めたところに従つてその生活関係を規律して行けば足るのであり、その実効を確保するためには執行力を認めることで必要にして十分であるからである(なおこの点に関しては民訴五五九条三号、五六〇条参照)。のみならず確定判決であつても、その裁判の性質上係争法律関係につき既判力を有しないものも存するのである。例えば、仮処分判決が本案の係争法律関係については、これが存否につき判断をした場合においても、既判力を有しないこと勿論なのであるから、訴訟上の和解につき確定判決と同一の効力を有する旨民訴二〇三条が規定したからとて、その本質を無視してまでこれに既判力を認めなければならない理由は毫末も存在しないのである。それ故調停に代る裁判が確定しても、ただ事件終了の効果と執行力を有するだけで既判力を有するものではない。かく考えることは、元来この調停に代る裁判の制度が当事者間に調停の成立しなかつた場合においても、裁判所として諸般の事情に鑑み相当と認められる紛争解決の方法を発見したときは、一応これを当事者に指示しこれを実行に移すべきことを要請し得るものとして定められたことに適合するのである。従つて裁判所によつて指示せられたかかる解決方法を甘受し得ないとする当事者において、その法律上の争訟を解決するため更に訴を提起し公開の裁判を受け得る権利を終局的に排除するものではないのである。さればこの見解の維持せられる限り、その然らざることを前提とする論旨の採るを得ないことは多言を要しない。しかしながらわれわれの右見解は不幸にして多数意見の賛同を得ず裁判所としてこの見地に立つて判断をしないこととなつた以上、前説示のとおり憲法三二条、八二条が何人も法律上の争訟については司法裁判所において原則として公開さるべき法廷で対立弁論の手続により審判を受け得べき権利あることを保障するものたることを確信するわれわれは所論調停に代る裁判の制度は右憲法の条規に違反するものとなさざるを得ないのである。

裁判官藤田八郎、同入江俊郎の反対意見は次のとおりである。

戦時民事特別法一九条二項によつて「借地借家調停法ニ依ル調停」に準用される金銭債務臨時調停法七条一項は「調停委員会ニ於テ調停成ラザル場合ニ裁判所相当ト認ムルトキハ職権ヲ以テ調停委員ノ意見ヲ聴キ当事者双方ノ利益ヲ衡平ニ考慮シ其ノ資力、業務ノ性質、既ニ債務者ノ支払ヒタル利息手数料内入金等ノ額其ノ他一切ノ事情ヲ斟酌シテ調停ニ代へ利息、期限其ノ他債務関係ノ変更ヲ命ズル裁判ヲ為スコトヲ得此ノ裁判ニ於テハ債務ノ履行其ノ他財産上ノ給付ヲ命ズルコトヲ得」と規定している。この制定の趣旨は同条所定の場合に、裁判所が一切の事情を斟酌して、調停に代え、「利息、期限其ノ他債務関係ノ変更ヲ命ズル裁判」をすること、かつこれが履行を命ずることをみとめたものであつて、その裁判は既存の権利関係を変更することに関するもので、性質上非訟事件に属するものというべきである。さればこそ同法八条は右の裁判は「非訟事件手続法ニ依リ之ヲ為ス」と規定しているのである。

であるから、性質上非訟事件に属せず、純然たる訴訟事件に属するものについて、事実の確定を為し、当事者の主張する権利の存否を確定する裁判をするごときことは同法七条の「調停に代る裁判」の範囲内に属しないものというべきである。さきに大審院が、たとえ基本たる債権の成立に争ある場合においても、諸般の事情を参酌して、権利関係の存否を確定する趣旨の「調停に代る裁判」をすることができる旨判示した(昭和一八年五月一八日第一民事部決定)ことは、同条立法の趣旨を逸脱したものであると思料する。

今、本件について見るに、本件はもと、原告石垣仙太郎の被告鈴木元良に対する家屋明渡の訴訟として中川簡易裁判所に起訴(昭和二二年一二月三日受附)せられ、訴訟の進行中同簡易裁判所判事山口正章によつて、「職権ヲ以テ借地借家調停ニ付ス」旨の決定がなされ、これに基き調停が試みられたのであるが、調停は結局、不調に終つたとして同裁判所裁判官村本晃によつて、本件「調停に代る裁判」がなされたものである。そして本件訴における請求の趣旨並びに原因は第一審決定の摘示するとおりであつて、要するに純然たる家屋の一部明渡請求の訴訟事件であり、本件「調停に代る裁判」は本案訴訟の原告たる石垣仙太郎の請求を容れ、被告鈴木元良に対し、右家屋の一部明渡を命じ、かつ、これに附随する各種の条項を定めたものであるが、第二審の決定においては、証拠に基いて諸般の関係事実を認定した上、右石垣仙太郎のした右家屋の一部に対する賃貸借契約解約の申入れは、正当の事由あるものと判断し、従つて、右賃貸借関係は右解約の申入れによつて適法に終了したとの理由の下に、本件「調停に代る裁判」を正当なりとしているのである。

しかしながら、右のごとく、純然たる民事上の訴訟事件について、証拠に基いて関係事実を確定し、訴訟物たる権利の存否を確定し、その履行を命ずるがごときことは、金銭債務臨時調停法七条所定の「調停に代る裁判」の機能の埒外であること、前段説示のとおりであつて、本件「調停に代る裁判」は同法同条に照し、違法の裁判であると断ぜざるを得ない。

憲法は、第八二条において、「裁判の対審及び判決は公開法廷でこれを行う」と規定しているのみで、いかなる裁判は公開の対審を経た上でしなければならないかを明文をもつて明らかにしてないけれども、純然たる民事上の訴訟事件について、終始、公開の対審を経ることなく権利の存否確定の裁判をするがごときはこれを禁ずるものである趣旨は、同条において、おのずから潜在的に規定されているものと解すべきである。

であるから、本件のごとき純然たる民事上の訴訟事件について、ついに一回の公開の対審を経ることなく、本件「調停に代る裁判」のごとき裁判をすることは、ただに、前記のごとく金銭債務臨時調停法七条の規定に違反するのみならず、又憲法の右条項にも反するものであつて、新憲法下、各種調停法の改正にあたつて、同条が廃止せられた所以も、また、ここに存するものと思料する。(そして、同条所定の「調停に代る裁判」は裁判上の和解若しくは調停法による調停と同じく、とくに、確定判決と同一の効力あるものとせられ、いわゆる既判効を有するものであることは、わが法制上、疑を容れないところであるから、「既判効を有しないが故にかかる裁判も違憲でない」とする見解は自分の採らないところである)。

裁判官池田克の反対意見は次のとおりである。

憲法三二条のいわゆる裁判は、法律に定めた本来の意味の訴訟手続、すなわち対審の方式によつて行われる争訟事件の裁判の手続をいい、たとえ裁判所が行うものであつても、この方式を履まないものは、本条にいう裁判ではない。また、同八二条の裁判公開の原則は、裁判の手続が公開法廷で行われることにより、その公正が保障されるものとする趣旨に出ずるものに外ならない。このように、右の裁判とその公開の原則とは、不可離の関係にあるのであつて、憲法は、法律上の争訟については、対審が認められ判決の形式による裁判がなされる手続によつて、裁判所の公開裁判を受ける権利を国民に保障しているのである。

ところで、戦時民事特別法一九条によつて、借地借家調停法による調停に準用される金銭債務臨時調停法七条ないし一〇条の規定は、いわゆる調停に代わる裁判を認め、その手続、その裁判に対する不服の方法及びその裁判の効力を定めているのであるが、これによれば、調停に代わる裁判は、司法上の行政処分に外ならないものであつて、憲法三二条にいう裁判ではない。また、その手続も、非訟事件手続法によつてなされるのであり、憲法八二条の方式によらないのである。しかも、その裁判に対しては、即時抗告のみが認められ、裁判が確定したときは、裁判上の和解と同一の効力を有することとなり、当事者は、もはや係争借地借家関係を争うことが許されないのである。そして右によつても窺われるように、調停に代わる裁判は、たとえ基本の権利関係につき当事者間に争があつて調停が成らない場合においても、これをなし得るのである。もつとも、それだからといつて直ちに違憲を以て目すべきものではないが、右の場合には、本来の訴訟手続によつて裁判を行うべきものであつたわけであるから、少くとも民事調停法一八条、一九条のような立法措置が執られなければならなかつたところである。すなわち、戦時民事特別法一九条は、金銭債務臨時調停法七条ないし一〇条を借地借家調停法による調停に準用する限度において、憲法三二条、八二条が保障している裁判所の公開裁判を受ける権利を奪うものというべきであり、違憲であるといわなければならない。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己)

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